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2008/01/02

狂言とママズ・ボーイズ

「麗らかな初春の日の影長し」 乙茶ん
 昨夜の元朝参りの後遺症?で、今朝は予定していた時間に起きられず、谷中の七福神めぐりは延期です。そんなわけで今日はゆっくり休養しています。
 具の追加が続き、豚汁だか豚汁鍋だか分らなくなった物も、雑煮風にしたりしながら3回食べ続けて、やっと片付けて鍋を洗ったところです。

 ビデオに撮っておいた狂言を観たり、大好きなギタリスト「コーネル・デュプリー」のライブDVDを観たりして過ごしています。そうなんです、パソコンでDVDが観られるのを忘れてました(爆笑)。正月早々大ボケです。

 狂言のビデオを観ていて思ったことですが、同じ和泉流でも、片や協会から破門されて、マイナーなプロレス団体に「出演」している元狂言師もあれば、今を時めく一家もあり、栄枯盛衰は世の習いとは言え、ステージママが出しゃばって来ると良いことは無いようですね。
 これは賞味期限改ざんのお詫び会見で観た、吉兆の母子とダブって観えました。母親にとっては何時までも可愛い息子なのでしょうが、世間から見れば”立派な大人”。お詫び会見の席で、横から母親に入れ知恵されなければ、自分の言葉で詫びる事さえ出来ないオトコとは、何と「哀れな坊や」に映る事であろうか。もう誰も彼を「男」とは呼ばなくなるでしょう。

 ボブ・ディランの「風に吹かれて」の一節にある、
”周りから男と呼ばれるようになるには、どれだけの道のりを歩いて行かなければならないのか?”という歌詞が頭をよぎりました。
 その道のりとはポール・マッカートニーが歌った「長く、曲がりくねった道」なのです。

 しかし男の子にとって母親は何時まで経っても、慕わしい特別な存在なのです。それは分るのですが、男はいつの日か巣立ちをしなければならないのです。
 たとえ母親と一つ屋根の下に居るような暮らしをしていても…。
一つ屋根の下に居るような暮らしをしているのであれば尚更の事、
端から見ても「一人前の男」に成らなければ、何か事が起こったら、ママのスカートの中に隠れるような軟弱なオトコになってしまうのです。
 それが分っている母親が少なくなって来ているのでしょうね。勿論それは父親にも言えることですが…。
 大人に成るという事は、男にとっても女にとっても難しい事なのでしょう。

 まぁ言ってしまえば、余計なお世話ですけれどね。ふっとそんな事を思ったのですね。
 
いつも読んでくれてありがとう! 感謝を込めて おっちゃん拝

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