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2005/03/27

文政四年とはいつだ?

2005.03.27 016今日はスクール生活最後の休日である。目覚まし時計より早く起き、自転車で読売新聞の専売所に朝刊を買いに行く。購読している朝日新聞より求人欄が充実しているし、前職も読売新聞の求人欄で見つけたからだ。自転車に乗っていてもくしゃみの連発で、ハンドルがふらふらになる。車と接触でもしたら大いに危険だ。
最近鼻水に薄っすら血が混じるようになった。明日は耳鼻科に行こう。耳鼻科は何処にあったっけかな?
後で電話帳で調べてみよう。そして求人欄を二回読み返すも応募したい求人は今回も無かった。昼前自転車で石神井川少しを下り、読売新聞専売所の近くまで行く。川沿いの遊歩道に石の不動明王がある。今朝新聞を買った帰りに通り掛って見たら、台座の正面には武州豊島郡下練馬村早淵念仏講中、左側に文政四年辛巳年一月二十八日と刻まれてい、右側には奉贈立不動明王村内安全祈願と刻まれていた。この辺りが下練馬村であったことは先日来ホームページの作成で家の付近の歴史を調べていて分っていたが、この河畔が早淵と呼ばれていたのは初めて知った。ここらは川の流れが早かったのだろう。しかし文政四年とはいつだ?今から何年前のことだ?

インターネットで文政年間を調べてみたら、文政元年(1818年)~文政十二年(1829年)の12年間であり、文政四年は(1822年)で今から183年前だ。因みにこの年の1月17日は鎌倉の鶴岡八幡宮が全焼しているし、また東海道の品川宿も全焼している。風の強い日だったのだろうか?昔から歴史には興味があったが、ホームページの作成で家の周りを調べている内に、もっと知りたいという気持ちが強くなって来た。我が家の旦那寺、阿弥陀寺さんは練馬界隈では二番目に古い寺だと分ったが、それなら一番目古い寺は何処か?俄然知りたくなって来た。その辺の事はまた次回、練馬の歴史として、記事にしたいと思っている。早淵(はやふち?はやぶち?、"はやぶち"で用語登録した)から、猫さんに会いに豊島園通りの十一ヶ寺に行くも、花などを売っている家の側の休憩所には猫さんは居なかった。墓地に入り古い墓石を見に行くと、江戸時代の墓石が何基も並んでいた。関東大震災後に浅草から移って来た浄土宗、田島山誓願寺の塔中(たっちゅう)の内、十一軒の寺が並んでいる所から十一ヶ寺と呼ばれているのだが墓石も運んで来たのだろうか?猫さんには又会いに来よう。他所のお墓もさる事ながら、我が家の墓にも詣でて来た。花も線香も持って来なかったが、墓石を撫で、母に呼びかけていると母の顔が浮かんでくる。
「俺はマザコンかい!?」再び春の息吹を求めてぶらつく内、私が生まれた家があった所の近くで今日の写真を写した。私の生まれた家は三軒長屋の左端だった。戦争の時、心臓を病んでいた祖父を空襲から非難させるのに家の下に防空壕を掘ったので、戦争が終わって防空壕を埋めても、家が傾いてしまっていた家だった。バブルの終わり頃、大家が家の明け渡しを迫り、急に言われて困惑した三軒は、区役所に相談した所、今住んでいる団地に引っ越して来たのだ。そんな訳で三軒長屋の頃のお隣さんは、今でも同じ団地の隣組だ。
今日も読んでくれてありがとう!     おっちゃん拝

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コメント

文政四年だが、この一年前にはナポレオン・ボナパルトが死んだ(1821/5/5)。一年後の文政五年には勝海舟が江戸は本所で生まれ(1823/3/12)、モルダウで有名なチェコの作曲家ベドルハジ・スメタナが誕生している(1824/3/2)。

投稿: 高木のおっちゃん | 2005/03/28 06:36

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